snowdrop

君以外 代わりのない 眩しいほどの光

1年

1年ですね。


去年の11日は今朝みたいな曇り空でしたね。
事務職なのに、現場にいたのもあって、ずっと現場の対応に奔走して。
夕方振って来た小雨に、不安を感じながら、現場のスタッフと空を見上げたな。











どのチャンネルを回しても、あの日の映像が流れているわけで。
忘れない、風化させないためなのかもしれないけど、必ずしもそれがいいことで、正解でもない気がする。
私みたいに、地震を体験したとはいえ、いた地域が違う人は、忘れないことは大事かもしれないけど。
当時仙台にいた親友ちゃんが言っていた。
この日は、きっとどこも流すから、TVはみたくない。
映像が、スイッチとなって、思い出したくないことも思い出してしまうから。今年は、一人じゃなくて、そばに一緒にいてくれる人がいて安心。



そういう人もいることを、忘れたらいけないよね。
人によっては、ある種の押し付けにもなるんだよね。






色んなことを、色んな角度から、足りない頭で自分なりに考えるようになった気もします。
国の対応が、後手後手だったことが問題とはいえ、国と国民の関係がイコールでもなく、むしろ国民が今回のことを振りかざして立場がはるか上のような主張も見ていて不思議。
差別化が極端な優先になっているような気もする。
仕事が変わったのもあるけど、NOというのはすごく簡単だけど、そのNOを主張するための代替案に対して、考え方が甘いというか、薄っぺらだなと思ってしまうことも。
2月に美容院に行った時に、長々と続くデモ行進を見ながら、NOという主張に賛同するのは簡単。この人たちのうちの何割が、本当に深く考えてのNOという主張なのかな?、じゃあ現実的な代替え案を私に説明してくださいと聞いたら答えてくれるのかしら?と、ちょっと冷ややかな目で観てしまう私がいたりして。
そのNOと言われているものがあることで、市や県の財政が成り立っていたとこもあったはずで。財政を考えたらNOといえる状況下にないけど、世間体的にもNOとも言えず、様子を見守るしかできないところもあるでしょう。



はっきりした答えを求めがちで、求めたくなるけど、答えは必ずしもはっきりしたものであるとは限らないんじゃないかな。
あたしはずっと自分なりの答えが、みつからず。
でも、「考える」ことを考える。
自分のできることを考えたり、自分は無力だという現実に辛くなったり。
でも、「考える」それが、大事なことだなと思ってます。





あと、1日1日を大事にしたいと、改めて思わされた。
良い事ばっかりの毎日だったら、もちろん一番だけど、悪いこともいいことも、悪い日も良い日もある。
嫌なことがあるから、ステキな日を、出来事を、ステキだと心から感じられる。
そうやって、正も負も色んな感情を持ちながら、毎日大事に生きていきたいね。






マチJのイベントは、うまくいったのかな?
あれこれ使い道に関して言われているけど、金額は数字であるが故に一見わかりやすい、でもその後の変化・使い道が目にみえにくい。
ぱんだは、一番後回しにされがちで、でも大切なエンターテイメント性はあるし、老若男女に分かりやすく目に見える形とも考えられる。
だから、必ずしも否定だけされるものではないのではないかな〜と。難しいけど。


とあるとこで見た金額の大きさに驚きました。
ある種の観点からみたら、単純にまっすぐな気持ちで集まったお金ではないかもしれない。
でも、「好き」という沢山のファンの思いや、それを通して「役に立ちたい」という思いが、それだけの大きさになるのであれば、彼らの存在やお仕事は、やっぱり素敵で、彼らにしかできないものです。
前にも書いたけど、普通の人間である私には、絶対にできないことで、ちょっと羨ましくもあるね。
寒い中、立ち続けたメンバー、コン会場でもお手伝いしてくれた、ちびっこも、みんなみんなお疲れ様でした。
1人でも多くの人の顔が晴れる日が来ますように。